はじめに

明確にルールを定めて制限するフランス

前者と後者の社会では、実際どのようなことが起きているのでしょうか。

フランスでは、都市封鎖や夜間外出禁止などを実施しても、定められていない範囲のところで、今まで通り自由に振る舞う人が多くいました。例えば、夜間が外出禁止であるなら、禁止時間となる前に誰かの家に集まって、外出禁止の時間が解ける朝まで飲もうとする人が現れました。「1つのテーブルを囲める(つまり同時に集まれる)人数は6人まで」というルールは、「6人までなら集まって会食していい」と捉える人もいました。

これらは確かにルールを破ってはいませんし、その時は楽しいですが、その背景にある「感染拡大を防ぐ」という点では、決して良い影響を与えません。個人の行動を力で押さえつけることは、負荷は大きく見えます。しかし、やってはいけないことが明確に示されている分、知らず知らずのうちに精神を削り取られるような形のストレスは少ないです。

曖昧な取り決めのなかで空気を読む日本

一方で日本は、基本的に罰則などを厳しく定めず、「飲食を伴う懇親会などはやめましょう」「飲食店は営業時間を短くしましょう」など、特に当初は私たちの良心にまかせて制限をかけました。もちろん法律上の違いはあるものの、目に見える形で、「できないこと」に境界線を引くフランスと比べれば曖昧な部分は多く、判断は私たちの自制と社会の同調圧力によって成り立っていました。

したがって「空気」を気にせずに個人の判断を貫き通せる(もしくは、そのようなものを感じることがない、できない)人なら、制限が少ない分、日本の状況は過ごしやすいかもしれませんが、それらを鋭敏に感じ取ることができる場合、常に心を何かに縛られている状態が続きます。

一方で、社会全体が大枠で同じ文化・背景を共有し、共通の認識でつながり足並みをそろえられるということは、全体で何かを実現する際には有利に働きます。日本における感染拡大の防ぎ方では、公の政策決定以上に、この部分が案外ウエイトを占めているはずです。

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