生活

ジョン・ローの奇策「ミシシッピ会社事件」

簿記の歴史物語 第13回

放蕩生活のすえに死刑を言い渡され、脱獄に成功し、最新の経済・金融知識を身に着けたジョン・ロー。1708年当時のフランスでは、彼はプロのギャンブラーであり、おそらくはスパイだろうと疑われていました。ところが1715年、彼の提案したアイデアが国王諮問会議で受け入れられます。

ジョン・ローの施策を紹介する前に、当時のフランスの状況について説明しておきましょう。太陽王と呼ばれたルイ14世ですが、反面、無分別な戦争を繰り返した結果、政府の財政は悪化の一途を辿っていました。


フランスで実現したジョン・ローの奇策

戦費を捻出するためには富裕層からの借金に頼らざるをえず、なかには政府に貸し付けたカネの利子だけで生活する「ランティエ」と呼ばれる人までいました。また、目先のカネを確保するために、税金を取り立てる権利を売り払っていました。王室の領地はすべて抵当に入り、税収はすべて抵当にとられていました。人々が働いて生み出した富は、政府を介して富裕層の財布へと流れ込む。そんな社会が成立していたのです。

1715年9月、ルイ14世が崩御。甥のオルレアン公フィリップが摂政として認められ、新たな支配者となりました。ジョン・ローは、彼に取り入ることに成功しました。

ジョン・ローの計画の第一段階は、完全な民間銀行「バンク・ジェネラル」を設立することでした。

ローの見立てでは、フランスの経済が低迷している一番の理由は貨幣不足でした。当時のフランスは金銀の貴金属を貨幣として用いており、現在のような紙幣は使われていませんでした。新しい商売を始めようとしても、その元手となるカネをどこからも調達できない状況だったのです。生み出された富はすべて既得権益者の財布に流れ込み、新しい産業を興すためのカネも足りない。そんな世の中で、経済が好転するはずがありません。

貴金属よりもはるかに流通しやすい紙幣を使えば、この状況を変えられるはずだと、ジョン・ローは考えました。1716年に彼の作ったバンク・ジェネラルは、フランスで初めての発券銀行――紙幣を発行できる銀行でした。

ただ紙切れを印刷しても、それを使う人がいなければ意味がありません。

ローは外国為替銀行を説き伏せてネットワークを作り、海外貿易の決済にバンク・ジェネラルの銀行券を使えるようにしました。さらにオルレアン公は、税金はすべて銀行券で支払われなくてはならないと命じました。効果はてきめんでした。銀行券は広く流通し、貿易を刺激するようになったのです。

信用が貨幣制度を成立させる

1718年、バンク・ジェネラルは国有化され、王室銀行(バンク・ロワイヤル)と名を改めました。代表者であるローは、より強い権限を持つに至ります。

しかし何よりも重要な点は、王室銀行が銀行券の発行を貴金属の準備と切り離したことでした。

本位貨幣の場合、紙幣はいつでも貴金属と交換できなければなりません。中央銀行は交換を求められたときに備えて、ある程度の貴金属をつねに準備しておく必要があります。しかしジョン・ローは、この準備高とは関係なく銀行券を発行できるようにしました。

つまり彼は世界で初めて、貴金属と交換できる保証の失われた銀行券――不換紙幣――を産み出したのです。

たとえ貴金属と交換できなくても、「国王とその臣下が適切な判断のもとに紙幣を発行しているはずだ」と人々が信じることができれば、貨幣制度は崩壊しない。これがジョン・ローの推測でした。

彼の推測は当たっていました。というよりも、時代を先取りしすぎていました。リチャード・ニクソンが金本位制を手放してブレトンウッズ体制が終わるのは1971年です。ジョン・ローはじつに250年も時代に先んじていたことになります。

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