はじめに
長引くコロナ禍やウクライナ情勢は、日本経済にも大きな影を落としています。物価は上昇するが賃金は上がらず、家計への影響が広がっているますが、この「経済」とはどういったものなのでしょうか?
そこで、産経新聞特別記者・編集委員兼論説委員の田村 秀男氏の著書『「経済成長」とは何か - 日本人の給料が25年上がらない理由 -』(ワニ・プラス)より、一部を抜粋・編集して「経済」について解説します。
経済=「経世済民」=「世を治めて民を救う」
そもそも「経済」とは何でしょうか。
「経世済民」という言葉があります。「世を治めて民を救う」という意味です。その起源は諸説ありますが、中国・隨時代の儒学者王通の「文中子」に「皆有経済之道、開経世済民」とあります。また、江戸時代の『経済録』(太宰春台者)には「天下國家を治むるを経済と伝、世を経め民を済ふ義なり」と記されています。類語に「経国済民」「経世済俗」
があり、これらを略したのが「経済」です。このようにもともとは「政治」の意味で使われていたのが、幕末に英語のeconomy の訳語に使われたことで今日の意味での経済となりました。
ちなみにeconomyの語源はギリシャ語のオイコノミアで「家政」、つまり一家の生活にかかわる事を処理し、治めることを意味していました。
現代の一般的な感覚で経済というと、カネ儲けのようなイメージがあると思いますが、「経世済民」という考え方の底辺に流れているものとは何でしょう。
例えば二宮尊徳の業績が当てはまると思います。彼は簡単にいうと財政再建と農村復興に尽力し、多くの人々を救いました。とにかく殿様に向かって言うべきことを言いました。
即ち、領地の経済を良くし、民を豊かにしていくということがいかに大事か、それが為敗者としての責務であると。そういう原点があります。
江戸時代は農業中心の経済です。そのため生産性(五九頁参照)が向上しないと経済は成長しない、できないのです。だから当時、経済が成長する際は生産力が大きくなりました。その生産力の最たるものが農地、土地の改良です。ゆえに開拓したり、埋め立てしたり、灌識したりして農地を広げ肥沃にすることが要でした。
とくに水田、米作農業がより広がっていきました。これが民を養う大きな要因になりました。しかも米は貨幣代わりになっていくわけです。なぜかというと、大名は年賀で得た米を大坂の市場に持っていって、そこで貨幣を得たからです。これで貨幣経済が少しずつ発展していきました。
ところが明治時代に一気に工業化という段階を迎えます。生産性がどんどん上がり、産業に投入されるお金も段違いに増え、この時期には外貨借り入れも出てきました。このようにして経済がどんどん成長していったわけです。
しかしながらそのエスカレートが結局戦争に繋がってしまい、先の大戦では敗戦に至り、一般庶民は困窮の極みに追い込まれます。
その後の高度成長のことはよく知られていますが、その源泉のひとつは戦闘から政府が推奨していた「産興業」や、医学、物理学、化学など多岐にわたる科学技術の「基礎研究」です。経済が政治と切っても切れない関係であることを示す一例でしょう。