はじめに

経済には実体経済と金融経済がある

現代の経済というものを考える際に前提にしなければならないのは、実体経済と金融経済(または資産経済)があるということです。まずは実体経済なのですが、これはGDP――国内総生産。一定期間内に国内で新たに生み出されたモノやサービスの付加価値の合計額のこと――に直結していて、モノとサービス、そして人が動く世界です。

もうひとつの金融経済、こちらのほうはまだ経済学が全容を解明していない部分で、資産市場において動きます。例えば株式が該当します。株式はいわば企業にとってみれば借金です。元本(株価)は払う必要はないけれど、配当はしなければなりません。株式市場では元本が変動して、どんどん上下して、それが投資家同士で売った、買った、得した、儲けた、損したという話になるわけです。

そして債務、借金をしての投資です。つまり債務の市場ということになります。これは国内、企業の社債、諸々の証券類があります。

要するに借金をそのまま商品にしているわけです。そのことによって栄える市場です。とくに金融市場の要になるのが国債です。なぜかというと、国債はその国の政府が最終的に払う、つまり返済するものだからです。その返済の根拠になるのは税金です。国民の税金で返済できるから、これは投資側からすると、非常に損失のリスクが低い「安全資産」という評価ができるのです。

だから、金利――利回りといいます――が安定するわけです。そして基本的には低い金利になります。要するに買い手がきちんとつくわけですから。それゆえ高い金利にしなくてもよい、借金する政府から見れば非常に安定した債務の手段ということになります。

この金融経済は資産市場を中心にお金がグルグル回っています。そしてそこからお金が実体経済に入ってきて、設備投資や雇用に活用され、利益を上げたらまた金融経済へ出ていくという関係にあるわけです。だから、実体経済こそがGDPであるといえます。繰り返しますが、ここではモノとサービスが動きます。

金融経済、最近は規模がどんどん大きくなっていますが、これは金融市場が大いに自由化されてきたことによります。とくに戦後でいえば、一九七一年にアメリカが金とドルの交換を打ち切った――「ニクソンショック」と呼ばれます――ことが大きかった。要するにドルが金のくびきから外れて、自由に発行できるようになったのです。

そこに至るまでの経緯を説明します。

一九四四年、アメリカのプレーンウッズで国際会議が開かれました。この会議で「世界銀行」と「国際通貨基金(IMF)」の設立が決定されたのですが、ある国の外貨準備高が減って、輸入の支払いができなくなった際に、IMFから資金を貸しだすようにしたのです。さらにIMFには為替相場を安定させることも求められました。先の大戦が起きた理由のひとつに、過度に通貨価値を下げて輸出を増やそうとしたことがあったからです。

かつては金が貨幣の価値を決める基準となる「金本位制」がとられており、国は自らの保有する金の量の分しか紙幣を発行できませんでした。そのため「自国通貨の価値を下げるために通貨量を増やしたい」と、金本位制を放棄する国家が続出したというわけです。

その金は当時アメリカに集中していました。ヨーロッパが戦火に見舞われていたので、ヨーロッパ各国は保有する金を緊急避難のためアメリカに預かってもらっていたのです。アメリカに預けていれば安心だからです。加えてアメリカはヨーロッパに軍事物資の援助をしており、それが金で支払われたこともありました。

この国際会議で採用されたのが「ブレトンウッズ体制」と呼ばれる「金ドル本位制」です。具体的には「全、オンスは三五ドルと固定し、金と交換可能な通貨はドルのみとする」こと、そして「ドル以外の通貨はドルとの交換比率を固定し、変動率はプラスマイナス一%以内にする」ことでした。

これにより各国は固定相場制で安定した貿易が可能になり、国際決済には金によって価価が保証されるドルを使いました。仮にアメリカの経済が停滞しても、ドルを使えば、必ず金と交換してくれました。

ところが、例えばどこかの政府がドルをいっぱい抱えたとして、「さあ、アメリカさん、私は金が欲しいから、このドルと金を交換してください」とアメリカ政府に言うとします。そうすると、アメリカ政府は「はて、困った」となります。こういう要請にすべて応じてしまうと、金が底をついてしまうからです。

まして一九六〇年代になるとヨーロッパも復興し、アメリカへの輸出が増えてきています。国際決済はドルが使われているので、ヨーロッパにはドルが溢れるようになります。加えてベトナム戰争による軍事費拡大でアメリカは財政赤字に陥りました。

アメリカは次第にドルと金との交換を渋るようになり、少しずつ追い詰められていったのです。これでは市場に「このままドルが過剰に供給されれば、金と交換できなくなるのでは? 危ないからいまのうちに交換しておこう」という気運が生まれます。

実際、フランスのド・ゴール大統領が一九六〇年代中盤、フランス銀行(中央銀行)に指示し、ニューヨーク連邦準備銀行に預けてある自国保有の金をすべて引き出して、フランスに持ち帰らせています。加えて、保有していたドルのほとんどを金に交換するようアメリカに迫りました。ニューヨーク連銀の金庫にある金だけでは足りず、アメリカ政府はきょ輸送機を飛ばし、ケンタッキー州フォートノックス陸軍基地内にある連邦政府金保所から積み出すサマになりました。これは「ド・ゴールの金戰争」と呼ばれています。アメリカは強く反発しましたが、フランスは金との交換を強行したのです。ちなみにド・ゴールだけです、こんなことをやったのは。

そして一九七一年八月一三日に、イギリスがアメリカに三〇億ドルの金交換を申し出たとき、フォートノックスの金保管所はすでに空っぽ同然、アメリカは持ちこたえることができなくなりました。結局翌々日、ニクソン大統領が金とドルの交換停止を宣言し、ブレトンウッズ体制は終了したのです。これがニクソンショックです。

ただドルには強さの秘密があって、金の裏付けがなくても、世界の主要な商品の国際取引は、ことごとくドル建てで行われています。原油、天然ガス、小麦、大豆、トウモロコシ、金、銀、などです。つまりアメリカは、輪転機を回してドルをどんどん刷れば、いくらでも買えるという話になる。だから圧倒的に強いわけです。きっとニクソンも「何も俺が金の束縛なんか受ける必要ないだろう。こんなのばかばかしくてやってられるか」ということだったのかもしれません。

同年十二月、金とドルの交換は停止したまま新しい固定相場制を源入―「スミソニアン体制」と呼ばれます。―しましたが、これはドル安誘導でアメリカの輸出増加を狙ったものだったため長続きせず、わずか一年半ほどで停止となりました。

そして各国が変動相場制への切り替えをし、それ以降金融市場の規模がどんどん拡大して現在に至っているということです。

金融経済が巨大になっている

戦後の高度成長が落ち着くとバブルになりました。突如、不動産価格や株価がどんどん上昇したのですが、これは高度成長の結果生み出された潤沢な資金をもとに、金融や資産運用(とくに不動産)で大幅な利益を上げるケースが急増したことが背景にあります。投資家や企業は勿論、一般庶民までが投資や消費に前のめりになり、景気が過熱したわけです。

過熱すると揺り戻しがあるのが世の常で、これは潰えていきました。いわゆるバブル崩壊です。バブルというのは崩壊してから「あれはバブルだったんだ」とわかるもので、当事者はイケイケどんどんだったのです。

バブルが崩壊して、資金が実体経済のほうに回らなくなってしまい、日本では実体経済が低迷したまま金融経済ばかりが拡大しているのです。これが、株価ばかり上がって景気回復の実感が乏しい理由のひとつです。資金が実体経済に行かなくなった理由はさまざまありますが、それは追って説明します。こういう状態が延々四半世紀続いています。日本経済の現状はそういうことです。

金融経済が膨張してきたのは、そう遠い昔の話ではありません。最初のきっかけは先に触れたドルと金の交換停止宣言、一九七一年のニクソンショックです。それからせきを切ったように金融の自由化が展開されました。それに拍車を掛けたのがIT化、グローバル化で、お金の移動がどんどん拡大化・簡素化されました。これがアメリカ主導で世界中に広がっていったのです。

例えば、一般庶民が自宅のパソコンを使って、ニューヨーク株式市場で株の取引ができるようになったのですから、金融市場が巨大化するわけです。

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