はじめに
コミュニケーションを円滑にするには、相手の言葉だけではなく、いまどんな感情を抱いているかを読み取る力が必要です。
そこで、元外交官で作家の佐藤 優氏の著書『未来を生きるための読解力の強化書』(クロスメディア・パブリッシング)より、一部を抜粋・編集して「読解力」を身につけるために必要なことを解説します。
「読む量」より「読み方」が重要
「読解力」とは「読む」「書く」「聞く」「話す」の四つの力の集合体です。つまりコミュニケーションそのものの力だと考えてよいでしょう。
このなかで、もっとも重要な力は「読む力」です。
読んで理解できないことは、聞いてもわかりません。読んで理解できないことは書けないし、話せません。
ですから、「読む力」がその人のコミュニケーション力の天井だと考えてください。逆に言えば、読む力をまず徹底的に鍛えることが大切です。
『AI vs.教科書が読めない子どもたち』で、著者の新井紀子さんが面白いことを書いています。
彼女が調べたところ、「読解力」と読書習慣、勉強習慣はほとんど相関関係がなかったそうです。本を日頃からたくさん読んでいるのに、読解力が低い人もいる。勉強が好きで机に向かうことが多い子が、読解力が高いとは限らないというのです。
これは何を意味しているか?問題はテキストをどのように読んでいるか?その読み方が大事だということです。
たとえば以下の文章があったとき、あなたはどう読んで、どう判断するでしょうか?
「弱い犬はよく吠える。ポチはよく吠える。だからポチは弱い犬である」
この文章を読むと、3段論法として一見成立しているかに見えます。ですが、ポチが犬かどうかが明示されていません。ポチはもしかしたら虎かもしれません。そうなると、「ポチは弱い犬である」とは言えないということになります。
重箱の隅を突くような屁理屈だ、と言う人もいるかもしれませんが、じつはこのように文章をしっかり吟味して判断する力が読解力には不可欠です。
この問題は、東京大学名誉教授で哲学者の野矢茂樹さんが書かれた『論理トレーニング101題』(産業図書)から引用したものです。
ポチという名前から、私たちはそれが犬だと自然に判断してしまいがちです。しかし、それは先入観にすぎません。その先入観が、私たちの正しいものの見方をおかしくしてしまうことがあるのです。
さらにもっと細かく言うならば、「弱い犬はよく吠える」という前提が合っているとしても、よく吠える犬がすべて弱い犬だというわけではありません。
強い犬でもよく吠える犬がいるとしたら、「ポチが弱い犬である」という結論が必ずしも正しいとは言えないことになります。
以下のような文章がより正確だと言えるでしょう。
「弱い犬はよく吠える。犬のポチはよく吠える。だからポチは弱い犬である可能性が高い」
あるいは事実はどうあれ、論理の整合性ということであれば、以下の文章も成り立ちます。
「すべての弱い犬はよく吠え、すべての強い犬は吠えない。犬のポチはよく吠える。だからポチは弱い犬である」