はじめに
みかんの生産量が激減した本当のワケ
次に、みかんについて何が起こったのかを確認しましょう。まずは論より証拠。下記のグラフを見れば一目瞭然です。
参考:みかんの需給動向とみかん農業の課題 https://www.nochuri.co.jp/report/pdf/n0208re1.pdf
なんと、みかんの生産量はオレンジ自由化が始まる15年以上前、1975年あたりからすでに急減していたのです。1991年の時点でみかんの生産量はピーク時から半減しています。つまり、オレンジ自由化とは関係なく、みかん農家はすでに窮地に陥っていました。1975年からみかんの生産量が激減した理由は簡単です。それまでの増え方が異常だった。それだけのことです。なぜそんなことが起こったのか? それは日本の歴史とは切っても切り離せません。
1950年代、まだ戦後復興の只中にあった日本は、今よりもずっと貧しい暮らしをしていました。その頃、果物と言えばみかんであり、実はかなりの高級品でした。1960年代から高度経済成長が始まり、人々の所得が倍増する過程で、この高級品のみかんが飛ぶように売れたのです。そのため、各地の農家は桑畑を潰して大量のみかんを植えました。これが1975年までのみかん生産量急増の理由でした。
なみに、みかん畑に転用された桑畑というのも戦前の日本の主な輸出品だった絹製品を生産するために、山の斜面を切り開いて造成されたものです。ご存知の通り、絹の原料は蚕の繭で、蚕は桑の葉を餌にしています。戦後、役目を終えた桑畑を持て余していたところ、みかんブームが到来したのでそれに便乗する新興みかん農家がたくさん出てきたということなのです。
しかし、さすがに10年もみかんを食べまくっていれば飽きてきます。また、1970年代に入ると、海外からの果物の輸入が徐々に増えていきました。すると、人々の果物に対する趣向も分散するようになります。一発屋芸人と同じく、爆発的に増えた需要は爆発的に減少する。みかん農家に壊滅的な打撃を与えたのは、オレンジの輸入自由化ではなく、この一発屋的なビジネスモデルのほうでした。