はじめに

コロナショックの渦中に住宅メーカー起業

コロナショックをピンチではなく、時代の変化と捉えて、さらにその先を行こうとする姿勢が見て取れます。こういう経営者は星野氏に限らず至る所にいます。

例えば、星野氏がリゾートホテルでやっていることをそのまま自宅で実現するプロジェクトがあります。vacancesの岡崎富夢社長はまだ40代の若い経営者ですが、「家はご飯を食べてテレビを見てお風呂に入って寝るための箱ではあってはならない」というコンセプトの下、自宅でワーケーションできる新しいタイプの住宅を提供しています。

2Fのルーフバルコニーを最大限に活用し、スカイバス、シアター、BBQスペースにリビングスペースなどを組み合わせた新しいタイプの住宅です。さらに、遊びだけでなく仕事でも使えるビジネス用ブース(ネット会議用のインフラと「白バック」完備)も組み込まれています。例えば、マリンスポーツを楽しむ人なら、この家を郊外の海の近くに建てて、早朝はサーフィン、9時から仕事、夕方からはバーベキューといった使い方も可能とのことでした(実を言うと、私はこの会社の顧問を務めています。普段から尖ったことを言っていると、面白いプロジェクトに誘われたりするものです)。

コロナショックでGDPが3割減ったと大騒ぎしているタイミングで、住宅メーカーを起業するなんて普通に考えたら正気の沙汰ではないですよね。でも岡崎氏にはビジョンがあります。彼は典型的なビジョナリー、見えちゃう人なんです。事情を知らない人が傍から見ていると単なる逆張りにしか見えませんが、彼にはビジョンがあるわけです。だから、勘違いしないでください。何でもかんでも逆張りすれば成功するわけではありません。

危機の後にはチャンスがある

とはいえ、未来をいくら正しく予想しても、投資のタイミングを間違えれば失敗します。経済全体が上昇基調にある時に合わせて新しいビジネスを展開できれば、細かいところで失敗しても何となくカバーされるし、反対にいくらいいビジネスでも経済全体が下降線の時に始めれば全く別の理由で失敗します。危機の後にはチャンスがあり、チャンスの後には危機がある。そのサイクルを見抜けば儲ける確率は各段に上がります。そして、その流れを摑むために、経済学の知見が使えます。次の年表を見てください。

1973年 第一次石油危機
1986年 円高不況
1991年 バブル崩壊
2000年 ITバブル崩壊
2008年 リーマンショック
2020年 コロナショック

この年表は日本が変動相場制に移行してから発生した大きな経済危機を並べたものです。日本はかつて1ドル360円の固定相場制を採用していましたが、1973年から現在と同じく、時々刻々と為替レートが変化する変動相場制に移行しました。

移行したその年に第一次石油危機が起こり、日本経済は大変な混乱に陥りました。第四次中東戦争勃発で原油価格が高騰し、資源を海外に依存していた日本経済が大打撃を受けたのです。しかし、実際に起こったことは景気の後退を心配するあまり、お金を刷りすぎて激しいインフレを招いたという経済失政でした。トイレットペーパーがなくなるというデマがテレビや新聞で拡散されてパニックが起こったことはむしろオマケです。戦争そのものは早期に停戦となり、原油価格も翌年には落ち着いていたからです。

1979年にはイラン革命をキッカケとした第二次石油危機がありましたが、この時政府と日銀は前回の反省を生かして、むしろ金融引締めを行い、需要を抑制することでパニックを防ぎました。原油が入ってこなくなれば原料や燃料が前よりもたくさん使えなくなります。つまり、石油危機の前に比べて、モノの生産がやりにくくなり、生産量が減ります。この時、生産量の減少に合わせて、人々がモノを買う意欲をなくせば経済はうまくバランスすることになります。第二次石油危機の時、政府及び日銀は人々の購買意欲を冷ますように金融引締め(利上げ)を行い、需要を抑制しました。これが大成功だったわけです。

ちなみに、アメリカは第一次、第二次いずれも日本とは対照的に金融緩和をやりすぎて大失敗しています。特に第二次石油危機の時、アメリカ政府及びFRBは当初日本と同じように引締めをしていたのに、途中で景気の腰折れを恐れて早々に引締めをやめてしまったのです。これが早すぎでした。モノの生産量が大して増えてもいないのに、お金ばかり増えてしまったらモノの値段が急激に上昇して経済に歪みが生じます。第一次石油危機の時にまさにそれが起こったにもかかわらず、アメリカは反省が足らず、同じ過ちを二度繰り返してしまったのです。

この石油危機のパターンはすべての経済危機に当てはまります。何らかの危機が発生すると政府と中央銀行はそれに対する対策を行います。その対策とは具体的にはお金の量を増減させることです。石油危機においては、原油価格の高騰でモノが作れなくなる危機だったのでお金の量が絞られました。これに対して、その次に起こった円高不況ではモノを作る能力は余っているのに円高による輸出不振でモノが売れなくなって危機が起こっています。こういう時はお金をたくさん刷って配り、余ったモノを買ってもらえばいいわけです。1986年の円高不況対策として、日銀は史上空前の低金利政策を導入しました。その結果、翌年からバブル景気が始まりました。

要するに経済危機が起こると政府と中央銀行が何らかの対策を講じ危機は去ります。時にはその対策が過剰になって、危機が去った後にバブル景気が発生したこともあります。危機はある日突然起こりますが、対策さえちゃんとやればその後息の長い景気の回復が続く。1973年の変動相場制移行からこちら、ずっとこのようなサイクルが続いてきました。

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