はじめに

オランダとポルトガルが独立したのは「消費税」のせい?

スペイン、オランダ、ポルトガルの三国にはある共通点があります。ぱっと思いつくのは、「大航海時代の主役」でしょうか?

が、もっとわかりやすい共通点があります。実はこの三国は、かつてスペイン国王の統治する国だったのです。つまり、三国ともほぼスペインだったのです。

大航海時代、スペインはまぎれもなくヨーロッパ最大の国でした。アメリカ大陸、アジア、アフリカなど世界中に植民地を持ち、「日の沈まない帝国」とも称されるほど繁栄していました。

しかし16世紀の後半になると、スペインは坂道から転げ落ちるように衰退することになったのです。なぜスペインは、急に衰退したのでしょうか?

16世紀末、スペイン艦隊は「無敵艦隊」と呼ばれ、圧倒的な戦力を誇っていました。一方でその維持費も相当のもので、1572年から1575年の間には1000万ダカット
かかったと記録されています。これは、当時のスペインにおいて歳入の2倍にあたる金額でした。

地理的にイスラム世界と接しているスペインは、「カトリックの砦」を自認し、イスラム教国と小競り合いを繰り返していました。無敵艦隊の費用を含め、軍備は相当な負担となっていたようです。

スペインは敬虔なカトリックの国で、国民は皆、教会に収入の10分の1を寄進していました。国民からそれ以上の直接税を取ることは、なかなか難しい状況でした。

そこでスペインは、「アルカバラ」と呼ばれる消費税で財源を補おうとします。この税制は中世にイスラム圏から持ち込まれたもので、大航海時代からスペインの税収の柱となっていました。

当初、アルカバラが課せられていたのは、スペイン国王のおひざ元のカスティーリャ地方だけでした。が、それをほかの地域にも導入し始めたのです。

まずターゲットになったのは、当時まだスペインの一部であり、経済的に非常に発展した都市だったオランダです。

オランダは宗教改革以降、急激にプロテスタントが増え、スペイン国王とは対立しつつありました。そんな中、スペインはオランダに対し何度も特別税の徴収をしてきました。しかも今度は、アルカバラを導入しようというのです。

オランダ人たちは猛反発し、武装蜂起をしました。いわゆる「オランダ独立戦争(八十年戦争)」です。

1568年から始まったこの戦争は、80年ほど続き、1648年のヴェストファーレン条約で「オランダの独立承認」という結末に至ります。スペインは経済の要衝を失うことになったのです。

ポルトガルについても、アルカバラの導入が武装蜂起に繋がります。

1580年から両国は合併状態にあり、当時、フェリペ2世はスペインとポルトガルの両方の国王を兼ねていました。植民地を多数持っていたポルトガルとの合併により、スペインには金銀などの資源が豊富にもたらされていました。

しかし、スペインが財政悪化のためにアルカバラを導入するようになると、関係は次第に悪化します。アルカバラによってポルトガル経済は大きな打撃を受け、ポルトガル人はスペインを恨むようになったのです。

そして、オランダやカタルーニャ地方など各地で反乱が相次ぐ中、今がチャンスとばかりに、ポルトガル人も武装蜂起をします。1640年に始まったこの戦争は28年間続き、最終的にポルトガルの独立が承認されました。

オランダやポルトガルが独立した原因はほかにもありますが、消費税が大きな一因となったことは間違いありません。そして経済的に重要な地域だった2つの地域を失ったことは、スペインを大きく衰退させることになりました。

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