はじめに

フランス革命を引き起こした「農民税」

フランス革命というと、「絶対的な権力を持つ国王が国家の富を大散財し、苦しい生活に耐えかねた国民が暴発した」というイメージで語られがちです。

が、これは誤解です。実は中世ヨーロッパの王室は、財政的には非常に脆弱だったのです。

中世ヨーロッパ諸国において、国全体が王の領土であったわけではありません。貴族や諸候がそれぞれの領地を持っていて、王というのは、その束ね役に過ぎませんでした。国王の直轄領は、決して広いものではなかったのです。

貴族や諸候は税金を免除されており、国王の収入は、直轄領からの税と関税くらいしかありません。にもかかわらず、中世ヨーロッパの国王たちは戦争に明け暮れ、莫大な戦費を費やしていました。

戦争時に特別に税を課すこともありましたが、貴族、諸候などの反発もあり、そうそうできるものではありませんでした。戦費の大半は国王が負担していたので、王室の財政は常に火の車だったのです。

そのため、中世のヨーロッパの国王たちは、「デフォルト」を起こすこともありました。デフォルトとは、借金を返せずに債務不履行となることです。

フランス王室も状況は同じで、デフォルトを何度も起こしていました。そこで、財政難を乗り越えるべく、「タイユ税」という重税を国民に課すことになります。

タイユ税とは、土地や財産にかかる税金で、イギリスとの百年戦争(1337〜1453)の際に設けられたものです。戦時の特別税として徴収されたのですが、戦争後も廃止されず、フランスの主要な財源となっていました。

タイユ税は当初、広い土地やぜいたく品だけにかかっていたものでした。しかし財政悪化に伴い、だんだんと生産資産にも課せられるようになっていきます。

農作業の道具などにもタイユ税が課されるようになり、フランスの農民は、牛馬や農機具を持つことさえできなくなりました。

タイユ税は、貴族や僧職、官僚などの特権階級は免除とされました。しかも、税を免除される特権者の範囲はどんどん拡大し、最終的に、課税されるのは農民ばかりとなってしまいます。タイユ税は別名「農民税」とも呼ばれるようになりました。

タイユ税により、免税特権を持つ貴族はますます富み、庶民はどんどん貧しくなっていくという状況が生まれました。当時のフランスでは、3%の貴族が90%の富を独占していたとも言われています。

国家財政は火の車、民衆は重税にあえぎながら、貴族や僧侶は「どこ吹く風」。そんな状況にあったのが、革命前のフランスだったのです。

時のフランス国王・ルイ16世は、この状況の打破を目指します。貴族や僧侶たちに納税を求めるため、「三部会」を開催したのです。これは、聖職者、貴族、平民の3つの身分から代表者を集めて行われる会議でした。

三部会において、平民の代表者はタイユ税の減免を訴えました。しかし、聖職者と貴族は自分たちへの納税を回避しようとします。

三部会の決裂により、聖職者、貴族と平民はするどく対立するようになります。そしてついに平民が蜂起し、フランス革命が起きてしまったのです。

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