はじめに

「集団の価値観」と「個人の価値観」が合致しているか

2019年5月1日付の『ニューヨーク・タイムズ』紙の論説欄で、元FBI長官ジェームズ・コミーが、コードを持っていないように見えるトップに幹部のコードが試される状況について書いていた。コミーはドナルド・J・トランプ大統領の下で働いた経験から次のように述べている。

「内面的な強さを欠いたまま人格ができあがってしまった人物は、ミスター・トランプの下でやっていくために自分の意見を引っ込めてしまい、それが積み重なって取り返しがつかないことになる。ダメージを受けないようにするには、(元国防長官)マティスのような人格が必要だ。なぜなら、ミスター・トランプは人の魂を少しずつ食べてしまうから」コミーが語っているのは、コードを持つことについてだ。コードとは、言い換えると、辛辣な攻撃を切り抜けるために必要な、個人や組織の価値観である。

FBI共通の良心は、職務責任局で実務に結びついている。そこで私が合衆国の東半分を担当する裁定ユニット長を務めたのは、入局後、街頭捜査官、FBI本部の防諜管理官(2年間)、サンフランシスコの経済スパイ・凶悪犯罪専門のチームの管理官(3年間)を務めた後だった。

職務責任局の担当業務として、そして、他部局の上位の管理職の責務として、ニューヨーク、ワシントン、マイアミ、ニューアーク、フィラデルフィア、ボストンなど、アメリカ最大規模の地方局のFBI職員に対する重大な違反行為の告発に関して、懲戒の裁定に取り組み、多くの苦渋の決断を下した。職務責任局のユニット長には、勧告から口頭注意、書面でのけん責、出勤停止、解任まで、懲戒処分の決裁権限があったが、決して気分のよいものではなかった。

事実、つらいことが多かった。

職務責任局では、積み荷を降ろすのを待っている貨物列車のように、違反行為についての分厚い内部調査報告書が私の未決箱に並んだ。各報告書には、あるときは軽微な、またあるときは悲惨な失敗を犯した捜査官、分析官、専門官、幹部職の物語があった。調査報告書は、私のチームの審判官たちが、事実認定・前例・妥当な処分の範囲に関する分析を添付した上で、私の机に届く。チームとしての仕事はそこでほぼ完了だが、私の決断はそこから始まる。たいていは私個人の価値観とFBIコードを組み合わせることで難しい判定を下すことができた。

ほとんどのFBI職員は、入局したときには個人の価値観を強く持っている。しかし、それは同僚の価値観や組織の価値観と必ずしも完全に同じ方向を向いているわけではない。年齢、性別、文化、人生経験、それに地理的な要因さえ、個人の世界観と組織の世界観にズレを生じさせる元になることがある。属する集団の価値観や使命と、メンバー個人の価値観がきちんと同じ方向を向いていないと、企業、組織、そして家族さえもが機能不全に陥る。だからチームには、コードを守るために、最終的にはチームの未来を守るために、組織構造と実行手順が必要なのだ。

コードは「外的要因」に左右されかねない

FBIコードには、その信頼性を守るさまざまな仕組みがあるが、そのうちの1つが、職員は出身地には配置されにくいことだ。今でも、アカデミーを出たばかりで出身地に配属されるのはまれである。私は25年間コネチカットに戻ろうとしてきたが、ついに認められなかった。

これは捜査官を不安定な状態にしておくためではない。捜査官がFBIの内部コードよりも外的な要因に影響されるリスクを低減するためだ。だから当然のこととして、コネチカット・ヤンキーである私は訓練終了直後にジョージア州アトランタに異動になった。

アトランタに着いて2週間しないうちに、私は刑務所暴動への対応に駆り出されることになる。キューバのフィデル・カストロがいちばんの凶悪犯たちをまとめて船に乗せ、合衆国に向かわせたのだが、当時、その一部がアトランタの連邦刑務所に無期刑で収容されていて、不満が募っている状態だった。その受刑者たちが流血の暴動を計画的に実行し、看守を人質に取り、刑務所に火を放ったのだ。

受刑者1人が殺され、2人の看守が負傷。騒動は11日間続いた。現場が連邦刑務所なので、看守を救出し、騒ぎを終わらせるために、FBIが対応全般と、最重要事項であるスペイン語での人質解放交渉の指揮を執ったのだ。

私がどこにいたのか、お聞きになりたいだろうか?

第4塔のはるか上階。煙と炎に包まれ、私は双眼鏡と無線機とリボルバーを携えて中庭を見下ろしていた。飲食物は滑車で運び上げなければならなかった。そこでは私が唯一の連邦捜査官で、ほかには看守が2人。私の正式な担当任務は、暴動の指導者の動きを(煙越しに見ることができたら)情報センターに無線で伝えることだったが、もっと大変だった仕事は、怒り心頭の看守の1人が暴動を指揮している受刑者に向かってライフルを撃たないようにすることだった。

看守のライフルは私の拳銃より大きい。その看守は、約30分おきにライフルを塔の窓から外に向けて引き金を引き始める。看守はなかなか私の説得に耳を貸さなかったが、なんとか11日間にわたって、確実に人質全員の死につながるような行動を踏みとどまらせることができた。

今になってみれば、私のコードが彼のコードよりも筋が通っていることを彼にわからせたのだと言えないこともない。

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