はじめに
「倫理観」を見失った警察官
FBIは人権に関する事件の調査を主導する国家機関だ。その役割のために、アトランタでは、地域文化とFBIコードがまったく正反対ということが発生した。私たちは、黒人の教会で十字架が焼かれ、建物に放火された事件をいくつも調査したし、私がいた当時、KKKが市内の通りをデモ行進する警護も担当した。1950年代の話ではない。1980年代終わりから1990年代初めのことだ。
私は、着任後間もなく、ジョージア州警察官2名の職権濫用の告発に関する案件を上司から渡された。逮捕報告と被害者とされる人物の申し立てに目を通した後、参考人に事情聴取をする準備をした。そのとき初めて、コネチカットから来た新米FBI捜査官である私は、人が自分との会話で黒人に対する差別語を使うのを聞いた。
その言葉はただの参考人から出たのではなかった。黒人への暴行容疑で調査対象となった2人のジョージア州警察官が発したのだ。それが彼らにとっての呼び方だった。警察官1人ではなく、2人から、何度も。すべてノートに書き留めてある。コードが違う、文化が違うということかもしれない。その晩、私は家に帰ってから妻に、これはもはや現実だと伝えた。「FBIは、私たちをほかの星への旅に送り出したのだ」と。
人権に関わる事件の調査はFBIの得意分野だ。これらの案件で十分に経験を積めば、気が付いたときには〝専門家〞と呼ばれているかもしれない。しかし、FBIの手で連邦裁判にかけるレベルの案件は多くはない。それもあって、苛立ちが募る仕事だった。
また、FBIは日々警察と連携しているので、職権濫用事件で警察を相手にするのはとくに難度が高い。だから、ジョージア州アセンズ近郊で郡保安官に立候補していた主任調査官に対する告発が出されたとき、そこの小さなFBI事務所に2人しかいなかった捜査官は、当然アトランタに連絡しなければと考えた。倫理観を備えていればそうするものだ。彼らは任務を続けながら、利益相反に見えないよう、この事件に関わるのは控えた。そんなわけで、私はアセンズに車を走らせることになった。
警察官やFBI捜査官さえも、法律を自分勝手に変えてしまうことがある。それは不道徳だし、法にも反する。だが、オコニー郡の保安官になろうとしていた男は、法律を勝手に変えただけでなく、ほかの人物にも好きにさせてしまった。
ある地元企業が窃盗被害に遭った。保安官の下の2人の調査官が容疑者の前に立ちはだかり、取り調べに引っ張り、窓も電話もない取り調べ室に座らせた。企業の経営者は一方の調査官の友人だった。取り調べが不調に終わった後、調査官たちは部屋を出て、その経営者と一緒に戻ってきた。そこから事態はあらぬ方向に進み始める。
調査官が取り調べを続ける一方、その経営者が容疑者を殴打した。彼は繰り返し男を殴り、頭を壁に打ち付け、殺すと脅した。容疑者は調査官に止めるように頼んだ。容疑者は、鼓膜が破れ、目にはあざができて腫れあがり、頭にこぶができて、結果的に被害者になった。最後は、調査官が被害者をその友人の家に車で送り届けた。被害者は病院の救急外来に駆け込み、診察した医師は傷が殴られたことによるものだと確認した。
翌日、被害者は足を引きずってアセンズの郵便局の上にある小さなFBI出張所を訪れた。
捜査官たちはあざの写真を撮り、調書を作成し、被害者が治療を受けたことを確認した。人権に関わるFBIの任務は単にコードを実行するのではなく、法の支配を守ることだ。まさにその法を守ることを、保安官事務所の調査官も誓ったはずだ。その誓いのために、大多数の警察官は進んで命を懸ける。
この事件の最中にその主任調査官は保安官への選挙戦を続けていた。驚いたことに、私たちが逮捕・起訴する前に、彼は勝利していた。この新たに選出された保安官は選挙に勝つ程度に人望があったので、彼に対する裁判で、陪審員たちが彼の行いを単に〝田舎者〞の正義の形だと見てしまうのではと私たちは心配した。
しかし、ジョージア州オコニー郡の実直な市民は、保安官と違い、もっとレベルの高いコードを身につけていた。1988年12月9日、新しい保安官、もう1人の調査官、例の経営者は、被害者拘留中の人権侵害の共謀および、ほう助の罪でそれぞれ連邦裁判所に起訴された。最終的には3人とも人権侵害で有罪判決を受けている。多くの州では、警察官が重罪により連邦裁判所で有罪になった場合、二度と警察バッジを付けることはできない。
この保安官もそうなった。彼は有罪判決を受け、刑務所に収監され、そこで、彼と同じく堕落したコードに従って、またはまったくコードを持たずに生きてきたほかの人たちと一緒に過ごすことになった。