はじめに

FBI長官は、なぜトランプに「解任」されたのか

FBIは、幹部クラスが不正行為で告発された場合に責任を追及するため、上級管理職(SES)懲戒委員会を設置していた。私は、クリーブランド局長時代にこの委員会の委員に指名され、懲戒処分を決めるための会議に招集されて、定期的にワシントンに出張していた。

職員の中には、幹部の懲戒委員会が別にあることを「えこひいき」と考える者もいたかもしれないが、真実はまったく正反対だ。省庁横断的な職位であるSESに任命されることは、FBIの管理職にとってキャリアの頂点と言える。SESの職位は給与体系が異なっていて、退職金も高額で、ボーナスが加算される可能性もあった。しかし、SESが不祥事で有罪となれば、懲罰は厳罰となる。コンサーバンシーの役割を上位で担うほど、責任は重いのだ。

合衆国人事管理庁(OPM= Offi ce of Personnel Management)の規則では、SESランクの職員の出勤停止処分は、必ず14日以上でなければならない。この規則があるからという理由で出勤停止処分をまったく行おうとしない政府機関がある一方、FBIの場合は、一般職員なら数日の出勤停止で終わる違反についても、幹部が犯した場合は最低でも半月分の給与を失うことになった。

さらに重要な意味があるのは、SES懲戒委員会が14日を超える出勤停止処分を勧告することはまれだったということだ。繰り返すが、これは幹部が互いにかばい合っているからではない。その逆で、もしFBI規範のコンサーバンシーを担う人物が、出勤停止14日間より重い処分に該当した場合は、その地位にとどまるに値しないということだ。そのような人物はSESから降格になるか、解任された。

上位のリーダーが独断で自分の責任を軽くしてしまえば、あっという間に物事がおかしなことになる。

たとえば、多くのアメリカ人が認めているように、トランプ大統領は行政府の道を大きく外れて、三権分立に文句を付けた。連邦議会の召喚状受け取りを拒否し、FBIと司法省を蔑視していることからも明らかなように、法の支配をあからさまに無視した。これは、国家の価値観や政府の民主的形態が試された出来事だった。

だが、トランプが国家の仕組みに文句を付けやすくなったのは、FBI上層部の一部が、知ってか知らずか、FBIの築いてきた規範や説明責任を踏み外したことによる。そして、このような幹部たちの首をかしげたくなる判断によって、FBIに対する国民の不信に火が点き、その疑惑の炎を大統領が繰り返し煽っているところに、さらに油を注いでしまったのだ。ジェームズ・コミーは、気が付かないうちにその役回りをさせられてしまった。

しばしばトランプ大統領のアンチテーゼとして描かれ、極めて誠実な人物であるジェームズ・コミーは、バラク・オバマ大統領からFBI長官に任命され、2017年にトランプ大統領に解任されるまで長官を務めた。

FBI長官は閣僚級の役職ではない。長官は司法副長官に対して、最終的には司法長官に対して報告義務を負っている。彼のFBIでの役職は、それ以前に務めた政府の役職とは決定的に違っていて、その違いを理解しないと、解任につながる騒動の元になったコミーの判断や意思決定を論じることはできない。コミーは、長官になる8年前にジョージ・W・ブッシュ大統領の下でほぼ2年間司法副長官を務め、その前にはニューヨーク州南部地区の連邦検事を2年間務めた。

つまり、FBI長官になる以前に、すでにコミーは司法省の中でも権力がとくに大きな2つの役職を経験していたということだ。

コミーは、ニューヨーク州の連邦検事として、連邦裁判所での大きな訴訟で数多く指揮を執ってきた。さらに、司法副長官として、FBIとその長官も含む司法省全体に関わる入り組んだ運営上の課題について、〝責任は自分が取る〞レベルの最終意思決定者として、決断を下してきた。おそらく検察トップの意思決定者としての豊富な経験が力になって、コミーはFBI長官の役割もうまく果たしていたのだ。しかし、ついにある日、彼は、自分が何の任務を負っていて、誰に責任を果たすのかを忘れてしまった。

聞き飽きた話を蒸し返しても始まらないが、ほとんどの人が知っているように、コミーは2016年7月5日にFBI本部で大げさな記者会見を開き「私は、ヒラリー・クリントンの不適切な機密情報取り扱いについて、司法省に対する起訴勧告はしない」と発表した。

この何が問題かと言うと、誰を起訴するとか、しないとかを決めるのはFBIの仕事ではない、ということだ。そのために検察官がいる。実際、FBI本部から通り1つ隔てただけのところにある「司法省」と書かれた大きなビルには、コミーの上司だった司法長官も含めて、プロの検察官が何百人もいるのだ。

私がFBI北オハイオの局長だったときに、もし、人目を引く著名人の捜査の後で記者会見を開いて、コミーのように「分別ある検察官ならこの件は起訴しないだろう」と発表すれば、即座に解任されただろう。地方局の局長はよく〝その領域の王〞と呼ばれるが、私たちはみな、誰かに対する責任を負っている。FBI北オハイオの局長に適用される規則があれば、それは長官も含めてFBI全職員に適用されるはずだ。

その後、コミーは2016年10月28日にFBIのイメージ問題をさらに悪化させる。新たに発見された〝捜査に関わると思われる電子メール〞のために、FBIがクリントンの不適切な機密情報取り扱いの捜査を再開したことを議会の監督委員会に伝えなければならないと思ったのだ。

だが、すでにドラマチックな演出になっているその物語の第2幕に、FBIを再び巻き込む必要はなかった。FBIのコンピューター・フォレンジック解析では、カスタマイズしたフィルターをハードディスクにかけることで、未確認の電子メールが含まれるかどうかを素早く確かめることができた。コミーはこの解析を待って、議会には単に結果を報告すればよかったのだ。

しかし、自分では正しいと信じて行った誠実な努力のために、再度、国民はFBIが政治的に動いていると考えることになった。

それからわずか9日後、大統領選挙直前になって、コミーは仕方なく、新たな電子メールは実質的にすべてFBIが過去に入手していたもののコピーだったという調査結果を議会に報告した。ところが、FBIに対する国民のイメージは元に戻らなかった。そして翌年、2016年の選挙にロシアが干渉したという疑惑でトランプ政権が消耗していたとき、善意から起こったコミーのつまずきが、トランプ大統領に、直接的な脅威であるFBI長官をクビにする口実を与えたのである。

コミーの行動は、博物館の責任者がわずかな煙を見つけて、貴重な美術品を建物から避難させる代わりに、コレクションすべてに水をかけてしまったというのと似ている。もう少し慎重かつ戦略的に動いていれば、大切な資産を傷めずに済んだかもしれない。コミーが二次的三次的に波及する結果を考えて、クリントンを起訴するかどうかの決定はFBIとは関係ない、としておけば、FBIのイメージは傷つかなかっただろう。

コミーの身に起こったことは、「大事なことは他の誰にも任せられない」と考えがちな、コンサーバンシーを担う人なら誰にでも起こり得る。その些細な考え違いが元になって、私たちは取り乱し、守るべきものにさらに大きなダメージを与えてしまうのだ。しかし、コンサーバンシーに責任を持つのはチーム全体だと考え、自分自身ではなくチーム全体を守ることに集中すれば、大切なものを守れる可能性が高まる。

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