はじめに
和訳「ねずみ講」は適当か?
ところで英和辞典のなかには、PonziやPonzi schemeの訳語として「ねずみ講」という言葉を充てているところもあります。ただこの訳し方は、やや不正確かもしれません。
ねずみ講とは「会員をねずみ算式に増やし、子会員が講元・親会員などに順次送金することを繰り返して巨額な利益を得ようとする金融組織」(明鏡国語辞典・第2版「鼠講」より)のこと。親会員←子会員←孫会員←ひ孫会員といった具合に階層を作り、その階層ごとに集金を行うところに大きな特徴があります(例:集金したお金の半分を親に、半分を自分の懐に入れるなど)。ちなみにこの階層からの連想で、ねずみ講のことを英語でpyramid scheme(ピラミッドスキーム)とも表現します。
しかしポンジスキームの場合、出資者の間に明確な階層構造は存在しません。カモ君とネギ君のどちらも、サギ君に出資金を渡しているからです。もちろんネギ君以降に声をかけられるほかの人物も、サギ君に出資金を渡すことに変わりはありません。したがってポンジスキームをねずみ講と訳すのは「厳密には誤り」ということになります。
ただポンジスキームとねずみ講には類似した点もあります。それは「あとで参加した人ほど損をしやすい」構造です。
ポンジスキームのサギ君は、当初出資者に対してきちんと配当を払っていました。しかしそのスキームが破綻した場合、ピンハネしたサギ君は大儲けして、配当をきちんともらった初期の出資者(おそらくカモ君やネギ君)は小さく儲けたか小さく損をしたかの状態にとどまり、後期の出資者は配当がほぼ得られず大損しているわけです。この後期の出資者の状況は、ねずみ講における末端会員の状況(新規会員を集められず入会金の分だけ損している)によく似ています。
この「あとで参加した人ほど損をしやすい」というイメージも、ポンジスキームという言葉を理解するうえで欠かせない観点でしょう。
【悲報】サギ氏、カモネギと鉢合わせ
ところで冒頭のサギ君ですが、水曜日と土曜日のやり取りを何回か繰り返したのちに、ちょっとしたピンチに陥ってします。
「ある日サギ君が道を歩いていると、交差点でカモ君とネギ君の両方に鉢合わせしてしまいました。そこでサギ君はとっさに一計を案じ、カモ君とネギ君にこんな提案をしたのです。『これからは、水曜日にカモ君からネギ君に直接5万円払ってよ。逆に土曜日にはネギ君からカモ君に直接5万円払えばいいからさ』。意味が分からずポカンとしているカモ君とネギ君をよそに、サギ君は立ち去っていきました」……さてこの物語では誰がいくら得して、誰がいくら損をしているのでしょうか?
参考:日経サイエンス2014年9月号「経済に潜むポンジ詐欺」など