はじめに
存在を知ると「足りないもの」が顕在化される
1976年。僕は神奈川県で生まれ、幼少の頃に東京都北区の赤羽に移り、そこで育った。小学生のときから、 「MSX」というパソコンでプログラミングをしていた。 バッドエンディングで終わる映画「ポセイドン・アドベンチャー」に衝撃を受けて、 期待を裏切る展開やレールを外れる人生が好きになった。
「お金がなくても生きられる」「働かなくても別に全然かまわない」 僕の根底部分にはそんな考えがある。たぶん、世の中の常識とは真逆だと思う。考え方には家庭環境が影響する。そんな話から語っていこう。
大人になってからカルチャーショックを受けることがある。早速だが、1つ質問がある。 「あなたの家には、エッグスタンドがありますか?」 どうだろうか。ちなみにエッグスタンドとは、食卓のテーブルの上に「卵を置くため」だけにある器のことだ。
「エッグスタンドくらいあるでしょう」「エッグスタンドって何? 見たことないんだけど」 反応は2つに分かれると思う。
先に僕の考えを書いておこう。 卵を置くためだけの食器があるって、おかしくないか。器なんて何でもいい。普通の小皿であれば、卵に限らず、なんだって置くことができる。
けれど、エッグスタンドは「卵のためだけ」にしか使えない。そんなものを買う「余裕」があること。しかもそれを当たり前のように語る人がいることに、僕はショックを受けたのだ。
それを知ってからというもの、雑貨店に行くと、たしかにエッグスタンドが売られている。それまで目に入らなかったものが顕在化されてしまった。