はじめに
貼り付けるだけで視力回復?
細胞シートを使った治療の実例は、心臓だけではありません。例えば、眼の角膜。角膜の上皮幹細胞が外傷などでダメージを負うと、視力を取り戻すには移植しかありません。
しかし、ドナーは不足。また、他人の角膜では拒否反応も問題となります。そこで、組織が似ている口腔粘膜から幹細胞を採取。それを培養して細胞シートを作ります。ダメージを負って濁った角膜表面の組織を除去した後、細胞シートを貼り付けると、術後1ヶ月で角膜が透明になるのだとか。
大阪大学の記事によると「視力0.01未満の患者さんが0.9まで回復するなど、これまでに素晴らしい実績を残している」とのこと。現在は、口腔粘膜の幹細胞ではなく、iPS細胞を使用した角膜上皮そのものの細胞シートが作られ、それを使った臨床研究が進んでいます。
その他にも、歯根膜(歯周病の治療)、膝の軟骨、そして冒頭のニュースの十二指腸の再生など、細胞シートは様々な治療に利用され、実績を積み重ねています。
しかし、なぜ、細胞シートは縫合しなくても貼り付き、患部と一体化していくのでしょうか。ここに、細胞シート工学の最大のポイントが隠れています。
細胞シートが抱えていた問題点
通常、細胞を培養して細胞シートを作るときには、「シャーレ」とよばれるガラス容器を使用するのですが、完成した細胞シートがシャーレの底に貼り付いてしまい、うまく剥がすことができません。原因は、細胞と細胞の間を埋めているタンパク質です。このタンパク質は、細胞同士をつなぎ合わせる糊のような役割を持っており、シャーレの底に貼り付いてしまうのです。
みなさんなら、シャーレに貼り付いた細胞シート、どうやって剥がしますか? 「無理矢理引き剥がす!」と答えたあなた。いいですね。ワイルドですね。ただ、そうすると、せっかく作った細胞シートが傷ついてしまいます。
「原因のタンパク質を壊す!」と答えたあなた。これもいいですね。タンパク質の分解酵素を加えると、タンパク質を分解して壊すことができます。しかし、この方法だと、細胞同士が離れてバラバラになってしまい、患部への生着率が大きく低下してしまいます。
お気付きになりましたか? タンパク質が原因でシャーレに貼り付いてしまうけれど、患部に生着させるには、このタンパク質が必要なのです。このタンパク質があるからこそ、細胞シートは患部に貼り付き、一体化していくのです。