はじめに
勝負の分かれ目だと肚をくくった創業者
この事件により、冷凍食品を多く扱う日本の小売業は窮地に追い込まれた。
冷凍食品を売り物にしてきた業務スーパーへの風当たりはことのほか大きかった。当時は「業務スーパー=中国」みたいなイメージがいまよりも格段に強かったことから、実際に天洋食品から冷凍ギョウザを仕入れていないとはいえ、取引があったために凄まじい風評被害に遭った。顧客から問い合わせが殺到した。
「冷凍食品を店頭から撤去したい。フランチャイズ本部としての責任を果たせ!」と売上も利益も落ちたFC加盟店から強く迫られた。
創業者の沼田昭二は動いた。2008年9月、輸入小売業者で先頭を切って全コンテナの検査を開始し、農薬チェックを行った。同時に、これまでの中国メインの生産体制を再考し、国内生産のPB開発を強化する体制をとった。
他のスーパーは売場から中国製の冷凍食品をどんどん減らしていた。業務スーパーの加盟店も一時的に中国からの商品を店頭から撤去、売場がガラガラになってしまった結果、各加盟店は売上、利益ともに大幅に落としてしまった。
だが数カ月後には、業務スーパー各店では従来どおり、中国製の冷凍食品を置くようになっていた。沼田は肚をくくっていた。飲食店の業務用にどうしても"必要"だったからである。彼ら向けの供給を断つことは許されない。
当時の顧客は一般消費者だけでなく、来店の2~3割は飲食業者であり、売上の半分を占めるという事情も横たわっていた。
ここを乗り切れば業務スーパーは勝てるぞ。沼田は、いまが勝負の分かれ目だと捉えていたのだった。他のスーパーは逃げ腰だが、今後とも冷凍食品がなくなるようなことは決してない。いや、いずれ需要は伸びるであろう。あと数年は我慢しなければならないけれど、いずれ冷凍食品の需要は回復してくる。沼田は加盟店オーナーに説明して回った。
「お客様は必ず戻るから、自分を信じてほしい。もう少し、来年まで待ってほしい。辛抱してほしい」と伝えて回った。加盟店オーナーは「沼田会長(当時)がそこまで言うなら仕方がない」と渋々了承してくれた。
現在、業務スーパーが扱っている輸入品のなかで約5割が中国からのものだという。2007、08年あたりは約8割が中国産だったが、それ以降は中国以外の欧米諸国、東南アジア地域からの輸入品が増え始めて、約5割まで比率を下げてきた。
ただし中国の食品加工技術は、他の国々よりもレベルが高い。日本の町工場のレベルと比較すると、実際には中国産のほうが技術力で凌駕しているのが現実だ。
日本人の口に合う煮物など和風食材に関する加工技術については、欧州産ではまったく歯が立たない。このため今後も中国産を完全に切り離すことは考えられないと、神戸物産の広報担当者は言う。
中国産の比率自体は下がっているとはいえ、中国でしか作れない商品も多いことから、中国で作るメリットは依然としてあるわけだ。
一例を挙げると、2019年に商品化した万能調味料「姜葱醬(ジャンツォンジャン)」は中国の委託工場で生産するものだが、たちまちそれが人気商品となり、いまやシリーズ化して7種類もある。あの中国産冷凍ギョウザによる薬物中毒事件により中国産の商品から消費者が離れたかというと、そんなことはなかった。むしろ中国産であっても、業務スーパーらしい魅力ある商品は支持を得て、売れ筋にもなっている。
FC加盟店オーナーの挑戦と蹉跌
開業以来FCを運営する、いわゆるフランチャイザーである神戸物産とフランチャイジーとなる各加盟店オーナー側とは良好な関係が続いていた。基本的に売上、利益がずっと伸び続けていたからである。
だが、中国産冷凍ギョウザによる薬物中毒事件に振り回され、初めて躓いた。「神戸物産は本当に大丈夫なのか?」と疑念を抱く加盟店が出てきても不思議ではなかった。
食品スーパーはもともと利益率があまり"高くない"業態である。わざわざ業務スーパーのFCに加盟してまでやる理由は、神戸物産からでしか仕入れられない商品があるからにほかならない。
加盟店オーナーのなかには、神戸物産が事件を起こした中国の天洋食品と取引があったことと冷凍ギョーザ事件を一括りにして、神戸物産の商品を訝しんだ人も出てきた。
それはもともと食品スーパーを営んでいて、業務スーパーに加盟してきたオーナーだった。彼は自分で品揃えをして、業務スーパーのローコスト・オペレーション、たとえば段ボールのまま商品陳列をするとか、極力賞味期限の長い商品を扱うとか、運営方法を取り入れればうまくいくと考えたらしい。
これも一つのチャレンジだったが、結局、うまくいかなかった。
なぜ蹉跌したのか? 彼我の商品力に圧倒的な差異があったからである。確かにダンボール陳列などで販管費を抑え、利益率を上げるための業務スーパーのビジネスモデルを倣ってはみたが、それは一部だけで、肝心のところを捉えてはいなかった。
業務スーパーが支持されている、顧客が満足している最大の理由は、繰り返しになるが、業務スーパーにしかない商品を揃えているからにほかならない。件のオーナーは、良い商品が安く売られている背景を過小評価したのである。
ビジネスモデルのみを真似ても、業務スーパーが揃える商品を扱えるわけではないからだ。そのことを悟ったオーナーは自前での展開を断念した。
到来したM&Aの季節
かくして冷凍食品は業務スーパーの代名詞となった。沼田に言わせれば、中国産冷凍ギョウザによる薬物中毒事件はある意味、チャンスであった。問題が起きたときにそれをチャンスに変えていく。さらにその先を見据えて行動していく。それがいまにつながっている。
ピンチを乗り切った神戸物産を待っていたのは、M&Aの季節であった。
自社に足りない部分があればM&Aでカバーすべし。ハイペースで社業を伸ばすためには積極的なM&Aが不可欠であった。本来であればとっくにM&Aを駆使すべきだったが、2004年に沼田ががんを患ったことから、スタートを遅らせていた。
2008年にはリーマン・ショックというもう一つの大事件が起きた。9月15日に米国の大手投資銀行のリーマン・ブラザーズが突如倒産、世界中が震撼した。市場や企業にお金が回らなくなるクレジットクランチ(信用収縮)が急拡大、金融機関が融資を極端に絞ることにより、実体経済に強い下押し圧力が加わった。
日本国内のメーカーはリーマン・ショックのあおりを受けて、技術には定評があるのに業績が低迷したり、破綻寸前まで経営が傾いたところが多かった。買収額が破格の案件もあって、M&Aに取り組むには絶好の時期だった。沼田は果敢に動き始めた。
現在は工場を所有せずに製造業としての活動を行うファブレスメーカーが大流行りだが、業務スーパーはM&Aの連発により手に入れた工場を次々と自社PBの生産拠点に生まれ変わらせていった。買収先に乗り込んできた沼田は会社を明け渡す側の経営者に決まり文句のように宣言した。
「従業員も工場もいまのままでかまわない。あなたもだ。ただし、これまでの取引先全部と縁を切ってください。われわれの条件はこれだけです」
M&Aをかけた食品メーカーの大半はビジネスとしては行き詰まっていたものの、自分たちにはない食品製造ノウハウや技術と貴重な経験をふんだんに持っている。慣れた工場ならば自分が繰り出す無理難題にも対応できるのではないか。そこに期待していた。