はじめに

ボトムアップ経営へのシフト

2012年に神戸物産の社長になったのは弱冠31歳の創業者長男の沼田博和であった。

父親の昭二はそのことについて、神戸新聞NEXTの連載記事のなかで、胸の内を吐露している

「実は49歳のとき、がんがわかっていた。ステージ4だった。会社には従業員がたくさんいる。もしものときのため、事業承継を早める必要があった。現社長の長男には20年以上、一言も会社を継いでほしいと言ったことはなかった。小さいときに、かなりきつく教育したんです。それを家内が嫌がって、商売人をさせたくないと。彼は大学を卒業後、大正製薬に就職し関東で研究職として働いていた。ところが、2009年の元旦、結婚を機に関西へ戻り、神戸物産で働きたいと言ってくれた。心のどこかで継いでほしいと思いながら、それはないだろうと諦めていた。だから、自分の意志で入社してくれたときは、業務スーパーを始めたなかでも一番か二番に嬉しかった。私は俄然やる気が出たが、病気のこともある。数年間、一緒に仕事をやって、後継者として優秀だなと思い、任すことに決めた」

沼田昭二は昔の苦労話みたいなものを一切しない人物として知られる。「フレッシュ石守」を開いたのが1981年で、そのとき博和社長はまだ1歳だった。業務スーパーができた2000年当時も大学1年か2年のとき。創業者自身、家庭で仕事の話をすることは滅多になかったという。

沼田博和は神戸物産に入社後、本社の商品開発系の商品管理、商品開発部、STB生産部門部門長を経て役員に。2012年2月に代表取締役社長に就任した。

創業者と現社長との違いを神戸物産の社員はどう受け止めているのだろうか? 集約するとこうなる。

創業者はまったく何もないところから自分で会社を立ち上げたわけで、基本的には完全なトップダウン経営。自分が考えたこと、自分はこうしたいのだということを直球で実行していく人物。とてつもなくパワフルで先頭を切って社員を引っ張り、会社を大きくしてきた。常に10の利益を20にするために、オーバーストアの時代に会社を守り、従業員の家族を守るために、スピード重視のトップダウン経営を貫いた。

無類の勉強家であったけれど、業務スーパー以外にもニューヨークでしゃぶしゃぶレストランを開いたり、エネルギー事業に参入するなど、さまざまなことに興味を抱き、かつ実行する人でもあった。

それに対して息子の博和社長は、社長としてこうしたいのだという指示は社員に下りてくるとはいえ、創業者の時代とは異なり、会社の規模が格段に大きくなっている。したがって、博和社長は自身の目で社内の隅々まで見ることが、物理的にもうできなくなってきている。

一部の社員からこんな声も届いてきた。

「博和社長になってからはトップダウンという社風をある程度残しながらも、ボトムアップが少しずつできるようになってきている。創業者のときは完全なトップダウンだったので、われわれは本当はこうしたほうが効率的には良いのにな。これがなかなか言えないような環境だった」

それに対して博和社長は新社長就任時、みんなから思うところがあれば、それを提案してほしい。こうした改善ができるなら、どんどん声を上げてほしいと言った。社員の声を拾っていくと、確かにそうすることで、より効率が上がるようなことがたくさんあったようだ。

創業者のときはトップダウン、つまり上下関係がベースになっていた。いまの社長になってからは横断的というか、部署間の情報共有を増やしていくスタイルに少しずつ変わってきた。

徐々に変わってきている商品構成

ある中堅社員はこう回顧する。

「創業者の社長時代には、各部の責任者が集まって会議をすることは少なかった。私が入社した当時は、創業者は会長という立場でした。会長室が設けられ、会長室に誰かが呼ばれる。創業者がこういったことをやりたいとなったときに、それに詳しいであろう人を会長室に呼び込む。そこで説明する。意見を聞く。そして試食していた。部署の責任者が集まって何か意見交換をする場はなかった。完全に上からのトップダウンであったからです。いまの博和社長になってからは、各部署の責任者が集まって、『こうした商品開発を現在行っている』『こうした商品が出る』と伝える。それに対してスーパーバイザー、店舗運営の責任者が『それはこういうふうに売りましょう』と練ってきた作戦を披露する。部署間の情報共有が始まったのも、博和社長になってからです」

商品構成については、以前は良いものを安く売っていれば、お客様は勝手に来る。ちょっと強引な物言いだが、それで良かったところがあった。

ところが、昨今はさまざまな情報ツールが発達してきているから、良いものを扱っていても、情報発信をしてきちんと市場に伝えていかないと、なかなか評価されない。

これまでは良いものを安く消費者に届けることをかたくなに実現してきた。けれども、近年はそれとパラレルして、業務スーパーの店に並ぶには単価として高めの設定かもしれないが、非常に価値がある商品も置かれるようになった。

創業者が社長のときだったら、プレゼンをしても「グラム単価がその値段なら売れるわけがない」と即却下されたものがそうではなくなった。確かに業務スーパーで売るには少し高いかもしれないが、それ以上に品質が高い。つまりコストパフォーマンスを考えたときに非常に魅力溢れる商品であれば、博和社長が採用するケースが増えてきているのだ。

よって商品構成においても徐々に変わってきているといえよう。

こうした違いはいくつか前社長、現社長で見られる。

傍から見ると、この二人は全然違うように見えるのだが似ている。話を聞いた社員はそう口を揃えた。ただプライベートというか、出張に同伴して、一緒に酒を飲んで話し込むときには、やっぱり親子だなとしみじみ思うらしい。

博和社長はある投資家からこんな質問を受けたことがある。「神戸物産の本質とは製造なのか、卸売りなのか、小売りなのか。社長はどう考えているのか?」

博和社長は即答を控え、しばらく経ってから、こう返した。「考え方としては製造に近い」物事を分解して、それを改めて組み直して、いかに効率的につくり上げるか。博和社長の製造に対する考え方はそこに収斂される。父親譲りの考え方が業務スーパーのオペレーション面でも活かされている。

投資管理もマネーフォワード MEで完結!配当・ポートフォリオを瞬時に見える化[by MoneyForward HOME]