はじめに

外食に参入した人の8割が3年以内に廃業する

さて、この理論をビジネスに当てはめてみましょう。確率分布が計算できるリスクに関する商売は、保険業に限りません。すでに需要が存在しているマーケットはすべてこちら側に分類されます。例えば、八百屋、床屋、魚屋、肉屋、運送業、家電、スポーツクラブに携帯電話事業まで。いわゆる業界が成立しているお仕事はすべて確率分布が予想できるリスクに関するお仕事です。この世に存在するビジネスの9割以上がこちら側と言っていいでしょう。そして、こちら側には既存のプレイヤーが多数存在しており、投資額に対するリターンという意味でも確率分布が計算できます。例えば、大手コンビニチェーンやファストフードチェーンは出店可能な物件を精緻に分析していますよね?

確率分布が予想できる商売は一見安全そうに見えます。しかし、実際にはそうではありません。例えばラーメン屋を例にとって考えましょう。ラーメンにはすでに一定のニーズがあり、ラーメン屋として開業すればそのニーズの一部を取り込んで商売が可能です。しかし、すでにそのマーケットが成立しているということは、競合他社も含め誰でも知っている事実です。そのため、多くの人がラーメン産業に参入し、激しい競争が起こります。競争とは、より良いモノをより安くという戦いです。競争は激しくなればなるほど、価格の低下を招きます。価格の低下によって企業の利益は減少します。ラーメン業界に参入するハードルは低くても、競合との戦いにより利益を出すことが難しい。外食に参入した人の8割が3年以内に廃業すると言われているほど、その競争は厳しいのです。

「ブルーオーシャン」へのチャレンジ

これに対して、全体の1割以下しか存在しない真の不確実性を相手にした商売はどうでしょう? こちらが相手にするのは、将来大きくなるはずだがまだ存在していないニーズです。残念なことに、現時点でマーケットは存在していません。だから、当初は顧客を見つけることが困難で、そのスタートはおそらく悲惨なものになるでしょう。人々がその新しいニーズに気付くのが遅れるかもしれないし、それは100年後かもしれないからです。
※編注:初出時、誤字がありました。

一般的に、確率分布が予想できる9割の世界を「レッドオーシャン」、そうでない1割以下の世界を「ブルーオーシャン」と言います。世の中にはブルーオーシャンを相手に商売すべしという本がたくさん出版されていますが、私はブルーオーシャンを相手にした商売は正直苦手です。なぜなら、いきなりこの世界に飛び込むと最初の顧客が見つかるまでに商売が干上がってしまうからです。

むしろレッドオーシャンはマーケットが存在し、参入している人が多いからこそ何かの偶然で素人同然のプレイヤーが生き残っていたりもします。私はむしろこういうショボい競合がいるマーケットこそ、たとえそれがレッドオーシャンであってもチャンスだと思います。何を隠そう、私はこういうボヤボヤした人を出し抜いて、激烈な競争を仕掛けるのが得意なのです。デフレ時代に起業した私は確実にマーケットが存在し、なおかつそこにショボい競合他社がいる時しか勝負しません。

私のやり方とは反対に、いきなりブルーオーシャン(真の不確実性)にチャレンジし、そこで何かを掘り当てた企業はたくさんあります。例えば、1979年に初代ウォークマン「TPS-L2」を発売したソニーは、その後このマーケットがこんなに大きくなることをあらかじめ知っていたでしょうか?

ソニーのウォークマンは創業者の我侭でできた?

1970年代末、ソニーの創業者の一人である井深 大氏が、「飛行機の中でもいい音で音楽を聴きたいのでなんか作ってくれ」とオーディオ事業部長であった大曽根幸三氏に依頼しました。この創業者の我侭なお願いこそがウォークマンが開発されるキッカケでした。

「はい、やります」。そう大曽根が答えた時から、テープレコーダー事業部の大車輪の日々が始まった。盛田(当時会長)のお陰で、目標ははっきりしすぎるほどはっきりしている。最初のうちは、「やっぱり、録音機能も付けたほうがよいのでは」という迷いが事業部にあった。しかし、再生専用・小型ヘッドホンステレオ、発売は夏休み前、という盛田の考えは変わらない。ヘッドホン部隊ともども、覚悟を決めた。

「冷静に検討を重ねると、難しい問題はいくらでも出てくる。だから検討する前に、『えいやっ』と返事をしなくちゃ話は始まらないよ」と大曽根はいつも笑って言う。

大曽根の部下の高篠静雄たち開発メンバーは、1週間に2〜3日の徹夜は当たり前という日々を送っていたが、不思議なことに、彼らに追い詰められた悲愴感はなく、至る所でジョークが連発され、作業場に笑いが絶えなかった。

この、未だ世界中のどこにも見当たらない製品の第1号機を作り上げるにあたって、大曽根にはどうしてもこれだけは譲れないということがあった。

「初めて世に出してコンセプトを問う1号機に、故障があっては絶対に駄目だ。故障が多いと、そのコンセプト自体が否定される」。大曽根は、それまでの種々の経験を通して、そう確信していた。

それに今回は時間も限られていた。盛田も「金型は流用すればよい」と言った。そこで第1号機のメカには、すでに50万台の生産実績のあるカセットテープレコーダー「プレスマン」のメカをそのまま流用した。1号機が変わりばえしなくても、ある程度不格好でもよい、それは続くモデルで挽回できる。だが、故障しやすいというイメージを、1号機で植え付けたら終わりだ。1号機の役割は、何よりも、新しいコンセプトを世に問うことなのだから。

この1号機開発には、技術的な苦労はほとんどなかった。既存の技術を組み合わせて、信頼性を最重視してまとめ上げることにすべての力が注がれた。

開発のキッカケは飛行機の中で音楽を聴きたいから。かなりナメてます。そして、開発現場も遊びの延長だったようです。しかも、開発されたウォークマンは録音機能がないということで社内では否定的な見解が多かったそうです。本当に売るのかどうか? 当時社長だった盛田昭夫氏は「自分のクビをかけてもやる決意だ」とコミットして無理やり発売しました。ところがこれがバカ当たりして全世界で記録的なセールスを達成しました。

ウォークマンは、その後ヘッドホンステレオ市場という新たなマーケットを創り出し、「世界中で愛されるウォークマン」となった。その生産台数は、第1号機発売から10年(1989年6月)で累計5000万台を突破、13年間で累計1億台を達成した。「15周年記念モデル」が出るまでに、実に300機種以上のモデルを送り出し、ヘッドホンステレオ市場において、トップの座を譲ることはほとんどなかった。

そして、1995年度には、ついに生産累計1億5000万台に達した。
参考:SONY公式HP 第6章 理屈をこねる前にやってみよう〈ウォークマン〉 https://www.sony.com/ja/SonyInfo/CorporateInfo/History/SonyHistory/2-06.html

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