はじめに

「大衆と同じバスに乗っていても、時期が来たらいつでもそこから飛び降りようと身構えている。そして逆方向に進む結果となることも恐れはしない」

「世紀の相場師」
ジェシー・リバモア (ウォール街伝説の投機王)

株式相場を語るうえで1929年10月の大恐慌はすべての人の記憶に残る出来事でした。アメリカのみならず世界経済に大打撃を与えた大恐慌を引き起こし、株の大暴落を招いた張本人が「ウォール街伝説の投機王」と呼ばれるジェシー・リバモアです。

当時の新聞が書き立てたことであり、現実には1人の力でそんなことができるはずもありません。しかし、そう書かれても仕方がないほどリバモアのやり方は完璧でした。大暴落が起きる数か月も前からリバモアは高騰を続ける株価の先行きを下落と見て、売り込んでいました。株数にして100万株、金額にして1億ドルを超える仕込みを終えていたリバモアはすさまじい勢いで株価が下落する大恐慌のさ中、巨万の富を得ることになったのです。

貧しい農家に生まれたリバモアは14 歳の時に、母親からもらった5ドルのお金を手に親元を離れ、株の仲買店で株価をボードに書き込むチョーク・ボーイとなり、そこで相場師の心得を学んだのち、一匹狼の相場師として莫大な富を手にしたかと思うと、すべてを失うという起伏の多い人生を送っています。1人を好んだのは、リバモアの考え方が周囲の考え方と食い違うことが少なくなかったからです。

1929年夏、市場は上げ相場であり、世の中の見方は強気一辺倒、市場には「濡れ手に粟」を夢見る大衆が次々と繰り込んできていましたが、リバモアはみんなと逆方向へと進みます。「大衆と同じバスに乗っていても、時期が来たらいつでもそこから飛び降りようと身構えている。そして、逆方向に進む結果となることも恐れはしない」という考えからです。

相場師にとっての正念場です。リバモアは大衆と同じバスに乗ることも厭いといませんでしたが、たった1人でバスから飛び降りる勇気も持っていました。 「みんなと同じ」から得られるものはほとんどありません。 背を向けるクレイジーさこそが富をもたらすのです。

ここがポイント
横並び意識から飛びぬけた成果は生まれない。独力で考えろ。

「やり遂げろ、この世界で継続ほど価値のあるものはない。才能は違う、才能があっても失敗している人はたくさんいる。天才も違う、恵まれなかった天才は諺になるほどこの世にいる。教育も違う、世界には教育を受けた落伍者が溢れている。信念と継続だけが全能である」

「成功はゴミ箱の中に」
レイ・クロック (マクドナルド創業者)

マクドナルドの創業者レイ・クロック(52才)がマクドナルド兄弟からフランチャイズ権を獲得して、最初のフランチャイズ店をイリノイ州デスプレーンズに出店したのは1955年です。

きっかけはマルチミキサーのセールスをしていたクロックが、ハンバーガー店を開いていたマクドナルド兄弟と出会ったことです。全米から「カリフォルニアでマクドナルド兄弟が使っているのと同じマルチミキサーを売ってくれ」という奇妙な依頼が殺到することに興味を惹かれ、兄弟の店を訪ねたことです。

本来なら本業のマルチミキサーの売り上げを伸ばすことが目的だったクロックですが、兄弟の店の清潔さ、きびきび働くスタッフ、最高のハンバーガーとポテトフライに魅せられたクロックは、これと同じ店を米国中に展開するという素晴らしいアイデアを思いつきます。クロックはすぐに兄弟との交渉に臨みますが、そのアイデアを聞かされた周りの人間は一様に反対します。

「君の頭がおかしくなったのかと心配したよ。プリンスキャッスル・セールスの社長が、15セントのハンバーガー屋を始めるなんてさ」

それでもクロックは突き進みます。マルチミキサーの収入でやり繰りしながら、マクドナルド事業を立ち上げるべく「奴隷のように」働きます。やがてマクドナルド一本にビジネスを絞ったクロックは1961年にマクドナルド兄弟から270万ドルですべての権利を買い取り、展開を加速、亡くなる84年までに世界中に8000店舗まで拡大させています。たとえチャンスに気づいたとしても50代ですべて懸けた挑戦ができる人はほとんどいません。 52歳での決断と、「信念と継続」こそがクロックに驚異の成功をもたらしたのです。

ここがポイント
いくつになっても挑戦できる。大事なのは信念と継続である。

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