はじめに
人生100年時代を迎え、「老後資金はいくら必要なのか」「いつまで働かなくてはいけないのか」といった不安を抱く方も増えています。
そこで、シリーズ10万部突破の『株式投資「必勝ゼミ」』の著者・榊原 正幸 氏の新刊『60歳までに「お金の自由」を手に入れる!』(PHP研究所)より、一部を抜粋・編集して年金について解説します。
年金財政の逼迫化――「年金が破綻する」は本当か?
60歳というのは若いようでいて、意外と残り時間が少ない。
その一方で、あと10年もすれば、日本では「一生働く」というのが当たり前になるでしょう。その理由は、(1)年金財政の逼迫化と、(2)長寿化です。
まずは、それぞれについてじっくりと考えてみた上で、「では、どうするべきなのか?」を考えていきましょう。
扇動的なフレーズとして一時流行ったのが、「年金が破綻する!」というものです。年金財政の逼迫化について考えていく前に、まず、この「年金が破綻する!」ということが正しくないことについて、私の考えを述べてみます。
日本の年金制度というのは、残念ながら、「賦課方式」です。「賦課方式」というのは、税金と同じで、20歳から65歳までの「生産年齢人口」の人からお金を集めて(国民年金の納付は、満60歳以降は任意)、それを現在の年金受給者に配分するという方式です。
ここで「残念ながら」と書いたのは、年金制度というのは、本来は「賦課方式」ではなく、「積立方式」によるべきものだからです。
「賦課方式」―― 働き手から徴収して年金受給者に配る方式で、税金みたいなもの。
「積立方式」―― 自分の年金は、自分で積み立てる方式。
税金のようなものである賦課方式を最初に採用してしまったおかげで、少子高齢化が進むと、制度の安定性が損なわれることになってしまうのです。また、「昔はよかったが、今の若い人は払った分だけもらえないから払い損だ」というような事態になってしまうのです。
積立方式であれば、ちゃんと積み立てた人は(自分で積み立てた分は自分に戻ってくるので)払い損にはならないわけですし、制度としても安定するはずです。
「自分のことは、自分で面倒を見る」。こんな当たり前のことすらできていないのが日本の年金制度なのです。
60年前の「問題先送り」のツケを今、払っている
そもそも、なぜ賦課方式にしたのかというと、年金制度を導入したその時に、受給者に該当した人たちに配分する財源を得るためだったのではないかと私は推察しています。賦課方式なら、その場で集めたお金を、すぐに受給者たちに配分できますが、積立方式ですと、スタート時には誰も積み立てていないわけで、その時に受給年齢になっている人たちは、年金の財源がないわけです。
そこで、「国がやることなのだから、税金と同じように賦課方式でやれば、すぐに年金を配れるから問題ないだろう」と当時の官僚が考えたのでしょう。いかにも官僚が考えそうな、見かけだけは良く見えて、本質的にはダメダメなやり方です。
しかも、当時の日本は人口構成がピラミッド型だったので、徴収した金額が配分に必要な金額よりも随分多かったはずです。そして、「これなら将来の分も備蓄できるからいいな」ということで、安易に賦課方式にしたのでしょう。正確なことは存じませんが、きっとこんな感じだと思います。
確かに、年金制度の導入当初に、その時点の受給者にも配分しなければならなかったとは思いますが、それならば、最初から「賦課方式と積立方式の併用」で制度を立案すべきでした。そしてもちろん、賦課方式によって徴収する金額は、年々減額させていけばいいのです。年月の経過とともに、積立方式によって各人が積み立てていく金額が累積していくわけですから、賦課方式によって配分する必要のある金額は下がっていくからです。
現行のような年金制度が導入されたのは1961年4月からのようです。年金制度の導入からもう60年も経っているので、最初から賦課方式と積立方式の併用で制度をスタートしていれば、少なくとも20年前の2000年頃には賦課方式は消滅させることができて、積立方式に一本化できていたはずです。そうしていなかったのは、大変残念なことです。
だからこそ、今からでも遅くはないので、自分で「賦課方式と積立方式の併用方式」を導入するべきです。すなわち、制度的な年金を支払う部分は賦課方式であり、それ以外に「自分年金」を創設して、積立方式で、自分で自分の年金基金を作っていくのです。それこそが、「60歳でハッピーリタイアをするための基金」です。